寝つきりに寝つくやうになる少し前に修善寺へ行つた。その頃はもうずゐぶん衰弱してゐたのだが、自分ではまだそれほどとは思つてゐなかつた。少し体を休めれば、ぢきに元気を回復するつもりでゐた。温泉そのものは消極性の自分の病気には却つてわるいので、私はただ静かな環境にたつたひとりでゐることを欲したのである。修善寺は前に一晩泊つたことがあるきりで、べつにいい所だとも思はなかつたが、ほかに行くつもりだつた所が、宿の都合がわるいと断つて来たので、そこにしたのだつた。
宿についた私はその日のうちにもうすつかり失望して、来たことを後悔しなければならなかつた。実にひどい部屋に通されたのだ。それは三階の端に近いところで、一日ぢゆう絶対に陽の射す気づかひはなく、障子を立てると昼すぎの一番明るい時でも持つて来た小型本を読むのが苦労だつた。秋もまだ半ば頃なのだが山の空気は底冷えがする。熱も少しあるらしく、冷(ひ)いやりとした風が襟(えり)もとや首すぢにあたるごとにぞくぞくする。それに風のかげんで厠臭(ししう)がひどくて堪へられぬ。誰でもさうだらうが、私も体が弱るにつれて、それが悪臭なら無論、芳香であつても、すべてのにほひといふにほひには全く堪(こら)へ性(しやう)がなくなつてしまふのである。それで私はどうしても障子を立てて、一日その薄暗いなかに閉ぢこもつてゐなければならなかつた。
私は時々立つて障子を開けて、向ひ側の陽のよくあたる明るい部屋部屋を上から下まで、羨(うらやま)しさうに眺めやつた。広い縁側の長椅子の上に長々と横になつてゐる人間たちを眺めやつた。客はさう混んでゐるとも思へなかつた。私はいきなり飛び込んだ客ではなくて、予(あらかじ)め手紙で問ひ合してから来た者でもある。私は女中を呼んで部屋を代へることを交渉したが、少しも要領を得なかつた。
一人客の滞在客といふ、かういふ宿にとつての、一番の嫌はれもので、私はあつたのだ。明いてゐるいい部屋は幾つあつても、それらは女連れなどで来て遊んで帰る者たちのためにだけ取つてある。その春放送局の用事で福島県の農村地方を廻つた時は、土地の人にある温泉地へ案内されたが、靴を脱いで上へあがつてから泊るのは一人だとわかると、いきなりそんなら部屋はないといはれ、帚(はうき)で掃くやうにして追ひ立てられた時のことを思ひ出した。軍需成金共が跋扈(ばつこ)してゐて、一人静かに書を読まうとか、傷ついた心身を休めようとか、さういふやうなものは問題ではないのだ。さうかと思ふと一方にはまた温泉組合の機関雑誌といふものがあり、「我々温泉業者も新体制に即応し、国民保健の担当者たることを自覚し……」などと書いて、我々の所へも送つて来たりしてゐるのである。
つまらぬことに腹は立てまい、ちよつとしたことにものぼせるのは自分の欠点だ、怒気ほど心身をやぶるものはない、この頃は特にさう思ひ思ひして来てゐる自分なのだが、怒りがムラムラと発して来てどうにもならなかつた。この堪(こら)へ性(しやう)のなさもやはり病気が手伝つてゐた。無理をして余裕をつくり、いろいろ楽しい空想をして来たのにと思ふと、読むために持つて来た本を見てさへいまいましくてならない。不機嫌を通り越して毒念ともいふべきものがのた打つて来た。食欲は全くなかつた。時分どきになると、無表情な無愛想な女が、黙つてはひつて来て、料理の名をならべた板を黙つて突き出す。こつちも黙つて、ろくすつぽう見もしないで、そのなかのどれかこれかを、指の頭でおす。
新しい宿を探して見ようといふ気力さへなかつた。さうかといつてさつさと引きあげて帰るといふ決断力もなかつた。
自然、飯の時のほかは外に出てゐるといふ日が多くなつた。範頼(のりより)の墓があるといふ小山や公園や梅園や、そんな所へ行つてそこの日だまりにしやがんでぼんやり時を過して帰つてくるのだ。
或る日私は桂川の流れに沿つて上つて行つた。かなり歩いてから戻つて来て、疲れたのでどこか腰を下ろす所と思つてゐると、川をすぐ下に見下ろす道ばたに、大きな石が横たはつてゐるのを見た。畳半分ほどの大きさでしかも上が真(ま)つ平(たひら)な石である。私はその上に腰をかけて額の汗をぬぐつた。あたりには人影もない明るい秋の午後である。私は軽い貧血を起したやうなぼんやりした気持で、無心に川を見下ろしてゐた。川は両岸から丁度同じ程の距離にあるあたりが、土がむき出して洲(す)になつてゐる。しかしそれは長さも幅も、それほど大きなものではない。流れはすぐまた合して一つになつてゐる。こつちの岸の方が深く、川のなかには大きな石が幾つもあつて、小さな淵を作つたり、流れが激しく白く泡立つたりしてゐる。底は見えない。向う岸に近いところは浅く、河床はすべすべの一枚板のやうな感じの岩で、従つて水は音もなく速く流れてゐる。
ぼんやり見てゐた私はその時、その中洲(なかす)の上にふと一つの生き物を発見した。はじめは土塊(つちくれ)だとさへ思はなかつたのだが、のろのろとそれが動きだしたので、気がついたのである。気をとめて見るとそれは赤蛙だつた。赤蛙としてもずゐぶん大きい方にちがひない、ヒキガヘルの小ぶりなのぐらゐはあつた。秋の陽に背なかを干してゐたのかも知れない。しかし背なかは水に濡れてゐるやうで、その赤褐色はかなりあざやかだつた。それが重さうに尻をあげて、ゆつくりゆつくり向うの流れの方に歩いて行くのだつた。赤蛙は洲の岸まで来た。彼はそこでとまつた。一休止したと思ふと、彼はざんぶとばかり、その浅いが速い流れのなかに飛びこんだ。
それはいかにもざんぶとばかりといふにふさはしい飛び込み方だつた。いかにも跳躍力のありさうな長い後肢(あとあし)が、土か空間かを目にもとまらぬ速さで蹴つてピンと一直線に張つたと見ると、もう流れのかなり先へ飛び込んでゐた。さつきのあの尻の重さうな、のろのろとした、ダルな感じからはおよそかけはなれたものであつた。私は目のさめるやうな気持だつた。遠道(とほみち)に疲れたその時の貧血的な気分ばかりではなく、この数日来の晴ればれしない気分のなかに、新鮮な風穴が通つたやうな感じだつた。
赤蛙は一生懸命に泳いで行く。彼は向う岸に渡らうとしてゐるのだ。川幅はさほどでもないのだが、しかし先に言つたやうに流れは速い。その流れに逆らふやうにして頭を突つ込んで泳いで行く赤蛙はまん中頃の水勢の一番強いらしい所まで行くと、見る見る押し流されてしまつた。流されながらちよつともがくやうに身振りをしたかと思ふと、それは一瞬、私の視野から消えてしまつた。波に呑まれてしまつたのだ。私ははツと思つて目をこらした。するとやがてそれは不意に、思ひがけないところに、ぽつかりと浮いて、姿をあらはした。中洲の一番の端――中洲が再び水のなかに没し去らうとするその突端に辛(から)うじて這(は)ひ上つたともいふやうな恰好で、取り附いてゐるのだつた。
赤蛙は岸へ上つた。そこで一休みしてゐた。私にはその大きな腹が、喘(あへ)いだ呼吸に波打つてでもゐるやうな気がした。やがて赤蛙はのたりのたり歩きだした。そして、元の所へ――私が最初に彼を発見したその場所まで来ると、そこにうづくまつたのである。
何かを期待してぢつと一所を見つめてゐるといふのは長いものだ。それは長く思はれたが、五分は経たなかつただらう、赤蛙は再び動きだした。前と同じやうに流れの方へ向つて。そして飛び込んだ、これも前と同じに。一生懸命に泳ぎ、押し流され、水中に姿を没し、中洲の突端に取りつき、這ひ上り、またもとの所へ来てうづくまる、――何から何までが前の時とおなじ繰り返しだつた。そして今不思議な見ものを見るやうな思ひで凝視してゐる私の目の前で赤蛙は又もや流れへ向つて歩きだしたのである。
私は赤蛙をはじめて見つけた時、その背なかの赤褐色が、濡れたやうに光つてゐたことを思ひだした。して見ると私は初めから見たのではない。私が見る前に、赤蛙はもう何度この繰り返しをやつてゐたものかわからない。
「馬鹿な奴だな!」私は笑ひだした。
赤蛙は向う岸に渡りたがつてゐる。しかし赤蛙はそのために何もわざわざ今渡らうとしてゐるその流れをえらぶ必要はないのだ。下が一枚板のやうな岩になつてゐるために速い流れをなしてゐる所が全部ではない。急流のすぐ上に続くところは、澱(よど)んだゆつくりとした流れになつてゐる。流れは一時そこで足を止め、深く水を湛(たた)へ、次の浅瀬の急流にそなへてでもゐるやうな所なのである。その小さな淵の上には、柳のかなりな大木が枝さへ垂らしてゐるといふ、赤蛙にとつては誂(あつら)へ向(む)きの風景なのだ。なぜあの淵を渡らうとはせぬのだらう?